Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 73 UDK: 81 COPYRIGHT ©: FUJIMURA ITSUKO The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : a Revised Definition of Transitivity 他動性再考:「被動作主」を表示する「が」と「を」の交替 FUJIMURA Itsuko* Abstract This study discusses the alternation of the Patient markers O and GA observable in some transitive constructions, such as the desiderative in Japanese. Based on a statistical analysis of more than 20000 examples collected from a large written corpus, the author reconfirms the multiple relevant factors in this alternation that were pointed out in her earlier study (Fujimura, 1989). Although most of these factors correspond to the constituents of the Transitivity Hierarchy proposed in Hopper & Thompson 1980, some factors, particularly those concerned with subjectivity, conflict with those in the model. For example, when the Patient is the speaker, there is a tendency for the strong Transitivity marker O to be used. Therefore, we propose another definition of Transitivity, one that highlights the degree of Saliency of the Patient in the proposition, and thus facilitates a more complete explanation of the choice between the two markers. Quantitative research based on very large corpora makes possible the detailed description of linguistic facts and unexpected linguistic discoveries that were difficult with those methods employed previously in Fujimura (1989). Keywords: transitivity, corpus, patient, case marker, Japanese 要旨 日本語では、願望文などの特殊な2項文において、「被動作主」マーカーの格助 詞は「を」と「が」の間で交替する。本稿は、大規模な書き言葉コーパスから得 * Fujimura Itsuko, GSID, Nagoya University (Japan), Furo-cho, Chikusa-ku, 464-8601, Nagoya, Japan. E-mail: fujimura@nagoya-u.jp FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 74 た 20000 件を越えるデータに基づいてこの交替の条件を計量的に記述し、筆者が Fujimura(1989)において指摘した多重的要因を再確認する。要因の多くは Hopper & Thompson(1980)において他動性を構成する要因として提案されたものと一致す るが、話し手自身が「被動作主」の場合に強い他動性のマーカーの「を」の使用 が促進されるなど、主観性に関わる要因は H&Th のものとは矛盾する。命題の中 での「被動作主」の卓越性の度合という別の定義を他動性に与えることによって、 本研究の交替は一貫した説明が可能になる。巨大コーパスを用いた計量的方法は、 Fujimura (1989)で用いた従来の方法では不可能な詳細な言語記述と、予見困難な 新たな言語学的発見を可能にする。 キーワード: 他動性, 大規模コーパス, 被動作主, 願望文, 格表示 1 はじめに 日本語の願望文(「―たい」)、可能文(「―れる・られる」)、およ び「好きだ」、「嫌いだ」、「欲しい」、「分かる」、「出来る」を述語 とする文では、対象を表す名詞句を表示する格助詞として「が」と「を」 の交替が見られる。筆者は 1989 年にこの問題に関する論文を発表し ( ”Un cas de manifestation du degré de transitivité : l’alternance des relateurs GA et O en japonais”(他動性の度合の表れの一例:日本語における「が」と 「を」の交替)Bulletin de la Société de Linguistique de Paris, 84-1)、この 交替に関与する条件の多くは、Hopper & Thompson(1980)(以下、 H&Th)による他動性の階梯(Transitivity Hierarchy)を構成する条件に一 致するが、人称などの主観性に関わる条件の中に、矛盾するものがあるこ とを明らかにし、他動性のプロトタイプそれ自体に、別のバージョンを仮 定する必要があると主張した。本稿は、大規模コーパスから得た多量のデ ータに基づいて、「が」と「を」の交替の条件を再度記述し、1989 年の主 張を再確認することを目的とする。1同時にこの作業を通して、大規模コ ーパスに基づく計量的な分析と、インフォーマントによる適切性の判断や 1 P. Hopper、S.Thompson は、出現頻度を重視した言語研究を進めている。Bybee, J. & P.Hopper (2000) を参照のこと。Fujimura, I. et al. (2004)や Fujimura, I.(2009, in press) も同じ趣 旨に沿った研究である。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 75 小規模コーパスにおける用例の観察を基にした質的な分析による方法との 比較も行う。 1.1 他動性 筆者は 1989 年の論文の中で、「が」と「を」との交替を説明する原理 として、H&Th による他動性仮説(Transitivity Hypothesis)を基本的に支 持した。H&Th による他動性は、複数の独立した要因の束からなるが、 「が」と「を」の交替にも、多数の要因が関与しており、他動性仮説は説 明原理として有効であると考えられた。また現に 1982 年には Sugamoto が、 「が」と「を」の問題と H&Th の他動性とを関係づけた論文を発表してい た。Sugamoto(1982)は、対象を示す名詞句のマーカーとして「が」を要求 する文は他動性が弱く、典型的な他動性のマーカーである「を」を要求す る文は他動性が強いと論じた。しかし、Sugamoto は、願望文(「―た い」)、可能文(「―れる・られる」)、「好きだ」、「わかる」などは 他動性の低い述語であるために「が」を要求するとし、「が」と「を」の 交替の条件の詳細な検討には踏み込まなかった。筆者は、Sugamoto と同 様、この交替は他動性に関連すると考えたが、H&Th の他動性仮説をその まま適用することは可能でないとした。 H&Th の他動性仮説は、「動作主(Agent)」がその行為によって「被 動作主(Patient)」に変化を起こすイベントをプロトタイプとし、プロト タイプからの乖離が文法(文の形式)に反映するという考えに基づいてい る。H&Th によると、文の形式が示す他動性の強弱は、最終的には、命題 (Proposition) の、ディスコースの中での卓立性(Saliency)に呼応するもの と結論付けられる。たとえば、「水が飲みたい」と「水を飲んだ」を比べ た場合、後者の方の他動性が強いのは、「水を飲んだ」は「水が飲みた い」よりも「できごと性」が強く、すなわち、ディスコースにおいて卓立 し、ストーリーを展開する力があるからだということになる。 ところが、「が」と「を」の交替に関しては、他動性を、命題における 「被動作主」名詞句の「被動作主」としての卓立性(Saliency)の度合と 定義する方が事実を適切に説明すると思われた。「被動作主」が「が」に FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 76 よって表示される場合は、命題の重心はもっぱら「動作主(=主語)」名 詞句におかれ、1項的に主語について語る文になる。一方、「を」によっ て表示される場合には、命題の重心は主語名詞句のみに偏らず、「を」で 表示された「被動作主」名詞句にもおかれ、2項的な命題となる。H&Th のものとは異なるこのような他動性の定義が必要である理由は、主観性に 関わる部分において H&Th のままでは説明ができない点があるからであっ た。「被動作主」が「ヒト」の場合には「モノ」の場合より、そのマーカ ーとして「を」の容認度は高くなる。また、「被動作主」が話し手自身な ど、話し手にとっての共感度の高い名詞句の場合にも同じように「を」の 容認度は高まる。この問題は他動性のプロトタイプをどのように設定する べきかという他動性仮説にとって本質的な問題につながる。H&Th(1980) 以来、他動性に関する研究は様々に行われていて、H&Th の提示した大枠 は支持されている。しかし、他動性のプロトタイプについては、意見が一 致しているようには思われない。たとえば Taylor(2003)は、他動性のプロ トタイプを構成する特徴として、H&Th に反して、「被動作主」の無生性 を挙げており(”Typically, ..., the patient is inanimate.(p.232)”)、「人間が意 図的に行動することよってモノに変化を起こす」出来事が他動性のプロト タイプと考えている。本研究では、「が」と「を」の交替の説明のために、 H&Th(1980)とも、Taylor(2003)とも異なる別の他動性のプロトタイプが必 要であると提案することになる。 1.2 研究方法 Fujimura(1989)で研究の方法としたのは、第一に、筆者自身のネーティ ブ・スピーカーとしての内省であった。しかし、「が」と「を」の交替に 関して、この方法は心もとないものであった。たとえば(1)、(2)の場合で ある。疑問符をつけた助詞の使用は筆者には不自然と思われたが、その判 断は微妙であり、これを基盤に論を展開するのはためらわれた。 (1) あの子はまだ字(が/?を)読めない。 (2) あの子がまだ字(?が/を)読めないとは知らなかった。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 77 そこで次に試みたのは、インフォーマントによるアンケート調査であっ た。15 人のインフォーマントに例文を見せて容認可能性の判断を求め、そ れを数値化して論拠とした。たとえば、例文 (3)の「が」は、15 人中 5 人 にとって不自然な文であったが、例文(4)の「が」は、15 人全員が自然で あると答えた。例文(5)の「が」は、15 人中 5 人のみが自然と答え、例文(6) では 15 人全員が自然と答えた。(3)から (6)まで、「を」は 15 人全員にと って自然であった。 (3) 先生にセーター(?が/を)贈りたい。 (4) 先生にお礼 (が/を)言いたい。 (5) 保育所に赤ちゃん(?が/を)任せられるものか。 (6) コンピュータに仕事(が/を)任せられるものか。 この方法は、一人の判断に依存しないという意味で、より優れた方法で はある。しかし、(3)から(6)のすべてにおいて「が」が容認できると判断 するインフォーマントの存在をどう解釈するかという問題が残る。また、 数字のわずかな差異は、確かな証拠というには程遠いし、作例という方法 自体にもデータの作為性にかかわる問題があると思われた。 第3の方法としたのは、テキストから採取した実例の調査である。コー パスは次の3冊の小説であり、「が」と「を」の交替に関わる例文を約 150 例収集した。 − 宮本輝:『ドナウの旅人』、1985、新潮社、390p − 川端康成:『古都』、1968、新潮文庫、228p − 五木寛之:『内灘夫人』、1972、新潮文庫、497p 調査の結果、可能文と願望文では、可能文の方に「が」が多く用いら れ、願望文では「を」が多いことが明らかになった。また、『ドナウの旅 人』は、他の2つに比べて「を」の使用が顕著に多い。このような事実 は、「を」の使用は非標準的で例外的であるとしたそれまでの考え方を修 正するものであり、一定の価値はある。しかし、個々の多様な条件を分析 するには、用例数の点で限界があった。また、「分かる」、「出来る」、 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 78 「欲しい」については、そもそも用例が少ない上に、「を」との共起が稀 なので、何も言えないに等しかった。 インフォーマントに判断を求めるアンケート調査も実例の調査も、規模 が限られている限り、ネーティブ・スピーカーの内省を補佐するにすぎな い。仮説を裏付けることはできたとしても、仮説を覆したり、予期できな い事実の発見によって仮説を発展させたりするものではない。大規模電子 コーパスによる調査はこの欠点を埋め、研究者の直感を超えた段階へ研究 を導いてくれる可能性があると期待できる。 以下、第2章では、1989 年の論文を紹介する。第3章では、この交替に 関して、大規模電子コーパスから明らかになったことを提示する。大規模 電子コーパスによる今回の調査では、可能文と「出来る」を対象にしなか ったので、これらに関わる記述は最小限に留める。 2 Fujimura (1989) 2.1 仮説 本研究は、格助詞の「が」と「を」の交替を対象とする。意味論的に命 題(proposition)のレベルの問題であり、形式的には次の二つの文型間の交 替の問題であると捉える。2 (7) 太郎が 花子が 好きだ(ということ) C1 C1 P (8) 太郎が 花子を 好きだ(ということ) C1 C2 P C は補語(Compliment)、P は述語(Predicate)の略であり、P が C を支配 すると考える。3定義は Tesnière (1959)に基礎をおいている。C1 と C2 は、 形態に基づいて次のように定義する。 2 可能文、「出来る」、「分かる」にはもう一つ別の文型がある。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 79 − C1(第1補語):格助詞「が」を伴う補語及びそのヴァリアント − C2(第2補語):格助詞「を」を伴う補語及びそのヴァリアント ヴァリアントとは、格助詞の省略された補語、格助詞が副助詞の「は」 や「も」によって置換された補語、補語それ自体が省略された場合を含む。 形態的に定義した C1 と C2 の意味役割として、無標の語順において最 初に出現する C1 を「動作主(Agent)」、C2 と2番目に出現する C1 を 「被動作主(Patient)」と呼ぶ。すなわち、たとえば「好きだ」の主体と客 体を「動作主」、「被動作主」と呼ぶ。2項述語を統一的に記述すること が「他動性仮説」の目的なので違和感はあろうがそのように呼ぶ。本稿の 仮説は以下の通りである。  他動性の差異が「被動作主」の格表示に反映する。  他動性の低い命題では「被動作主」が「が」で表示され、 C1+C1+P の文型になる。  他動性の高い命題では「被動作主」が「を」で表示され、 C1+C2+P の文型になる。 他動性とは、意味論上の概念であり、「被動作主」の役割を果す参与項 の命題内での卓立性(Saliency)の度合と定義する。「被動作主」の命題 内での卓立性が高いほど、他動性は高くなる。他動性が高くなるにつれ て、命題の伝える意味内容は「被動作主」に関わるものになり、「被動作 主」がプロセスからこうむる影響について多く語られる。命題は「動作 主」と「被動作主」の両方に関する2項的なものになる。逆に、「被動作 主」の卓立性が低いほど、他動性は低く、命題は「動作主」にのみ関わる ものになる。その場合、「被動作主」は、述語の中に意味的に抱合され、 述語と一体化して、「主語(=動作主)」を描写したり、修飾したりす る。すなわち、命題は1項的なものになる。 3「主語」や「目的語」などの文法関係を表す概念は以下では用いない。ただし、「主語」 という用語を、一項的な他動性の低い文の述定(Predication)の対象という意味で用いること がある。 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 80 他動性の強さを決める本質的な二つの要因を次のように仮定する。この うち、2番目の要因は本研究のオリジナルな部分であり、H&Th(1980)や Taylor(2003)のものとは異なる。4  指示対象における被動性(Patientivity)  蒙る影響の強さ  蒙る影響の全体性 など  話し手にとっての「被動作主」の重要度  話し手にとっての認知的な意味での近さ  談話の中での主題性 など 他動性は、多変量的な概念である。ここに挙げたのは定義的な要因であ るが、具体的な構成要因は数多く存在し、そのそれぞれが独立している。 願望文、可能文、「好きだ」、「嫌いだ」など、「が」と「を」の交替 を許す文は、他の多くの2項文に比べて他動性が低い。「被動作主」の被 動性が低いからである。たとえば、「彼は皿を割った」と「彼は皿が割り たかった」を比べると、第2の文の「被動作主」の「皿」は、未実現の 「被動作主」であるため被動性が低く、「被動作主」において起こった結 果について語られないからである。「被動作主」が話し手にとって主観的 に重要であるほど他動性が高まるのは、重要な「被動作主」の被動性は主 観的に強いからである。願望文、可能文などは、一項的に「動作主(=主 語)」の状況、状態を述べる文であり、高い被動性をもった「被動作主」 を想定するのは困難である。それは C1+C1+P の形式であれ、C1+C2+P の 形式であれ同じである。しかし、それにも関わらず交替は起こり、その交 替を条件付ける要因は、他動性の定義的要因として挙げた上記の二つの要 因のどちらかに還元可能と考えられる。 4 藤村(1989)では、ここで定義する他動性がフランス語の使役構文を説明する上でも有効で あることを主張した。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 81 2.2 「が」と「を」交替の条件 以下では、C1+C2+P と C1+C2+P の交替の条件を提示する。先行研究に は、すでに、交替の条件がいくつか提案されている。たとえば、「被動作 主」が人間の場合や、「被動作主」名詞句が文の先頭近くにあり動詞から の距離が遠い場合には「を」が選択されると言われる。これらは正しい指 摘に違いないが、絶対的な条件ではなく、反例を挙げることは容易である。 しかし一方で、決定的に不自然な例文が存在することも事実である。 (9) 父(*が/を)このピストルで撃ち殺してしまいたい。 (10) 花子は音楽(が/*を)好きだ。 (11) 希望者は随時、事務局まで連絡(*が/を)とられたい。 この事実は、「被動作主」の格形を決定するのは複数の条件の組み合わ せであることを予測させる。すなわち、すでに提案されているものを含め、 一つ一つの条件は、他動性を決定する多変量的な要因のうちの一つである と考えられる。 インフォーマント調査および、筆者の内省から得た「が」と「を」の交 替の条件を表1に示す。これらの条件はそれぞれ独立しているが、矛盾し あうものではない。右の列の要因は、第2項名詞句の「被動作主」として 卓立性を高め、他動性を強める要因であり、左の列の要因は、それを卓立 性を低め、他動性を弱める要因である。この他にも様々な条件が関与しう るに違いないが、それらも、上記の他動性の定義に従ってこの表の中に適 切に配置されると予想できる。 「が」が好まれる 「を」が好まれる 被動性弱 被動性強 不定 定 不特定 特定 抽象 具体 非人間 人間 「被動作主」の性質 3 人称 1 人称 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 82 「が」が好まれる 「を」が好まれる 情報量大 情報量小 1人称 3人称 「動作主」の性質 主題 非主題 アスペクト 未完了 完了 非現実 現実 ムード 潜在的 顕在的 他動性 弱 強 表1:「が」と「を」の交替の条件(Fujimura (1989)) 以下には、これらの要因の簡単な説明を例文とともに記す(詳細は Fujimura(1989)を参照のこと)。また、これらの要因が H&Th(1980)と Taylor(2003)においてどのように扱われているかを付記する。例文のうち、 「≦」で表示したのは、インフォーマント 15 人による調査の結果、容認 度に差が認められた例である。「A≦B」の表記は、「B」は「A」に比べ て容認度が高いか、同等であることを意味する。「≦」を伴わない例の容 認度の判定は、筆者自身の判断に基づいている。 (A)「被動作主」の被動性の度合 「被動作主」が強い影響を蒙る場合には「を」が選択されやすく、強い 影響を蒙らない場合には「が」が選択されやすい。他動性の議論の本質に 関わる重要なポイントであり、H&Th(1980)も Taylor(2003)も、前者では、 他動性が強く、後者では他動性は弱いとしている。 (12) ?親の顔がぶん殴りたい。≦ 親の顔が見たい。 (13) ?親の顔を見たい。≦ 親の顔をぶん殴りたい。 (B)「被動作主」の限定度 「被動作主」の限定度が高いとき「を」が選ばれやすく、後者では 「が」が選ばれやすい。H&Th(1980)も Taylor(2003)も一致して、前者では 他動性が強く、後者では他動性が弱いとしている。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 83 (14) ??山田さんの息子が殺したい。≦ 人が殺したい。 (15) 車を売りたい。(自分の車を個人的に売りたい。) (16) 車が売りたい。(職業として車のディーラーになりたい。) (C)「被動作主」が人間か否か 「被動作主」が人間の場合、「を」で表示されやすく、そうでないとき 「が」で表示されやすい。H&Th (1980)は、前者は他動性が弱く後者は他 動性が弱いとしているが、Taylor(2003)は逆に人間でない場合が他動性の 典型であるとしている。 (17) ?あの子がたたきたい。≦ あの太鼓がたたきたい。 (D)「被動作主」が具体か抽象か 「被動作主」が具体物であれば「を」が選ばれやすく、抽象であれば 「が」が選ばれやすい。H&Th(1980)も Taylor(2003)も、前者は他動性が強 く、後者は他動性が弱いとしている。 (18) ?先生にセーターが贈りたい。≦ 先生にお礼が言いたい。 (E) 人称 1人称名詞句が「被動作主」のとき「を」が選択されやすく、そうでな いとき「が」が選択されやすい。H&Th(1980)、Taylor(2003)ともに、逆を 述べている。H&Th(1980)は「動作主」が1人称のときに他動性が強いと し、Taylor(2003)は他動性の典型は「被動作主」がモノの場合であるとす る。 (19) ?*彼は私が忘れたいのです。≦ 彼は花子が忘れたいのです。 (20) ?*彼は私が無視できるようになった。≦ 私は彼が無視できるように なった。 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 84 (F) 主題性 「は」によって「動作主」が主題に取り立てられているとき、「被動作 主」は「が」で表示されやすい。逆に「動作主」が主題でない場合には、 「を」が用いられやすい。H&Th(1980)、Taylor(2003)ともにこの問題は扱 っていない。本稿では、後者の場合、「被動作主」の卓立性が相対的に上 昇するために他動性が強まると考える。前者の場合、命題は「動作主」中 心になるので、他動性は弱いと考える。このようにして、主題関係は、参 与項間の関係に影響を与える。 (21) あの子はまだ字(が/?を)読めない。 (22) あの子がまだ字(?が/を)読めないとは知らなかった。 (23) 太郎は花子さん(が/?*を)好きだ。 (24) 太郎が花子さん(が/を)好きだということは有名だ。 この条件は、「被動作主」と述語との距離が離れるほど「が」が容認さ れにくいという事実とも関係がある。 (25) ビール(*が/を)家でゆっくりのみたい。 (26) 家でゆっくりビール(が/を)のみたい。 (井上 1986) 語順の一般原則によると、主題性が高く、古い情報を伝える名詞句は発 話の先頭近くに現れ、逆に、新情報を伝える名詞句は末尾近くに現れる傾 向がある。「被動作主」が主題性の高い名詞句であるほど「を」で表示さ れやすく、情報量が多いほど「が」で表示されやすいと解釈できる。 (G)アスペクト 述語が完了アスペクトのとき、「を」が選択されやすく、未完了アスペ クトの述語(状態や前望的アスペクト)では「が」が選択されやすい。 H&Th (1980)も Taylor (2003)も、前者は他動性が強く、後者は弱いとして いる。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 85 (27) ?三日でセーターを編める。≦ 三日でセーターを編んでしまえる。 (28) 三日でセーターが編んでしまえる。≦ 三日でセーターが編める。 (29) 壁紙が貼ってしまいたい。≦ 壁紙が張ってみたい。 (H)現実/非現実 感嘆的に願望の表出のみを表し、その実現が問題とされない場合には 「が」が適切である。H&Th(1980)、Taylor(2003)ともに、前者のような非 現実のプロセスでは他動性が弱く、現実のプロセスでは他動性が強いとし ている。 (30) あぁ!ビールが飲みたい! (31) とりあえずビールを飲みたいので、お願いします。 2.3 実例の観察 既述のとおり、Fujimura(1989)では3冊の小説をコーパスにして、「可 能文」、「願望文」、「分かる」、「出来る」、「好きだ」、「嫌いだ」、 「欲しい」の用例を約 150 例収集し、実例に基づいて表1に挙げた条件を 検討した。小説の作者は「が」と「を」を気まぐれに使用しているわけで はない。以下では例を検討する。 (A) 『ドナウの旅人』の願望文の「が」 『ドナウの旅人』の願望文では、「を」の 14 回に対して、「が」が次 のように3回出現するが、3例とも、「被動作主」は人間以外の不定の指 示対象であり、被動性は弱い。 (32) 麻紗子はキリンが見たかったのだ。(p.48) (33) シギィは、絹子に、どんなものが食べたいのかと聞いた。(p.174) (34) 水が飲みたいの? (p. 257) FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 86 (B) 「~を分かる」 『ドナウの旅人』の「分かる」は「が」が 19 回使用され、「を」は次 のように2回出現するが、「を」の使用は2回とも「被動作主」が定の人 間の場合である。 (35) シギィは私のことをなんにも判ってないのね。(p.136) (36) ペーター・マイヤーという人間をなにも判ってはいないくせに。 (p.114) (C) 『古都』の願望文の「が」 『古都』の願望文では、「を」が5回、「が」が2回使用されているが、 「が」が使用される場合の動詞は2例とも「見る」である。 (37) なぞの捨て子の顔が見たいな。(p.25) (38) くすのきが見たいのやろ。(p.159) (37)ではさらに、プロセスの実現は不可能である。「が」で表示され た名詞句には、指示対象が存在しないからである。 (D)「~を見たい」 『内灘夫人』においては、(39)のように「~を見たい」が存在する。し かし(37)や(38)とは違って、「被動作主」は「あなた」であり、それは聞 き手として話し手の眼前に存在する重要な人である。願望は実現可能なこ ととして表されており、直接的で無遠慮な意志のニュアンスが加わる。コ ンテキストからは、この文は、男が女に言い寄り、女の気持ちを変えよう とするプロセスを表していることがわかる。 (39) 「どうして?」 と霧子は言った。 「どうしてそんな無意味なことをなさるの?」 「あなたに関心があるから」 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 87 男は静かな口調で喋り出した。 「二度目の電話で、ぼくはあなたの名前を知りました。ぼくが会って ほしいとたのんだが、あなたは受け入れなかった。だが、ぼくはどう してもあなたを見てみたいと思った。・・・」(p.259) 柴谷(1978)は、「が」と「を」の使用が任意であることをいうために、 同じ作家が、同じ作品で「が」と「を」を使っている次の例をあげている。 (40) 村井さんは子供がお嫌いらしいですね。 あなたはうちの子をお嫌いでしたものね。(三浦綾子、『氷点』) (41) 彼女が好きなんです。 あたしを好きなんでしょう。(五木寛之、『ローマ午前零時』) 柴谷の意図は、「が」と「を」は入れ替えが可能であると示すことであ るが、これらの例は、本研究の主張にうまく合致していると言える。(40) の「子供」は、総称として解釈される。一方、「うちの子」は特定の子供 であり、さらに、発話者にとって大事な自分の子供である。(41)でも同じ ことが言える。1人称が「を」で表示され、3人称は「が」で表示されや すいことは、本稿の仮説から予測が可能である。 3 電子コーパス「毎日新聞、1991-99」を利用した計量的調査 本章では、大規模電子化コーパスを使って、「が」と「を」の交替を調 査し、再定義した他動性の有効性を検証する。すなわち、「欲しい」、 「好きだ」、「嫌いだ」、「分かる」、および、複合述語の願望文を対象 に、「が」と「を」の交替の条件を計量的分析によって明らかにする。 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 88 3.1 方法と検索の条件 コーパスには、毎日新聞の 1991 年から 1999 年まで(総語数約 2 億語) を使い、検索は検索プログラム「茶漉5」を利用して、kwic 検索を行った。 対象としたのは、「被動作主(が|を)」に、述語が、直接後続するもの のみとした。具体的な検索の条件は以下のとおりである。データ数を平均 化するために、利用したコーパスの規模は述語によって異なる。ひらがな や別の漢字で表記された「すきだ」、「判る」など、表記法の異なる述語 は検索しなかった。 1. 【名詞】+(「を」|「が」)+(「欲しい」|「分かる」| 「好きだ」|「嫌いだ」)の【全活用形】(ex. 金が欲しい) ● 「欲しい」「分かる」:1991 年から 1999 年まで(9 年分) ● 「好きだ」「嫌いだ」:1997 年から 1999 年まで(3 年分) 2. 【名詞】+(「を」|「が」)+【動詞】+「たい」の【全活用 形】6(ex.水が飲みたい) ● 1997 年のみ(1 年分) 3. 【名詞】+(「を」|「が」)+【名詞】+「し」+「たい」 (すなわち、名詞語基のサ変動詞+「たい」)の【全活用形】が くる用例(ex.英語を勉強したい) ● 1997 年から 1999 年まで(3 年分) 既述のように、「被動作主」名詞句に述語が直続すると、「が」の使用 が促進される。本節で検討したデータは、語順に関して「が」がもっとも 選択されやすい場合に相当する。他の語順では、「を」の使用が増大する はずであり、結果は相対的に取り扱う必要がある。 5「茶漉」は現在、次の URL で利用できるが、毎日新聞は一般公開されていない。検索時 には、品詞の指定や、活用形の一括指定(「全活用形」を指定)などができる。 http://tell.fll.purdue.edu/chakoshi/public.html。 6 検索プログラムは万能ではない。「茶漉」では「たい」の「全活用形」を指定しても、満 足のいく検索結果は得られなかった。「たい」に関しては、「全活用形」以外に、(たい| たかっ|たく|たけれ)も指定して検索し、重複行は後で削除した。「全活用形」の指定は、 「やめてしまいてぇ」などの意外な例文も拾ってくれるという利点があった。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 89 機械的な検索では、不要な例がさまざまなレベルで含まれるため、例文 を確認し、手作業によってそれらを削除した。たとえば、「が」が「動作 主」につく例は削除される (ex. 「お客さんが欲しいのは、単なる天気予 報じゃない」)。「欲しい」に「がる」が後続すると、自動的に「を」が 選ばれるので削除の対象である。また、本稿で扱う述語ではなく、別の述 語が名詞句のマーカーを要求している場合も削除の対象である(ex.「イン テリアのさまざまなスタイルを分かりやすくまとめた」)。さらに、新聞 データには、かなりの重複が含まれるため、一定の条件のもとに重複デー タを削除した。このようなデータの確認、不要例の削除作業、データの管 理・分析は、Microsoft Excel を使って行った。例文を、1 例1レコードの データベースとして保存し、例文ごとに必要な情報を付加して、「が」と 「を」の出現頻度と要因との関係を分析した。 採取したデータの数は表 2 の通りである。表2には、「を」と「が」の 生起数、および、「を」の生起の割合を揚げた。データの総数は 20000 例 を越える。図 1 は、表 2 をグラフにしたものであるが、述語によって、大 きな偏りのあることが明確である。願望文か否か、すなわち、構造に基づ いた偏り(単純述語か複合述語か)が大きいが、述語によっても異なり、 「欲しい」には特に「を」との共起例が少ない。一方、「存在をアピール したい」や「協力をお願いしたい」のような、「名詞を語基とするサ変動 詞+たい」に前接する補語の場合、「が」の使用は希少であり、4436 例の 中に1例も観察できなかった。 述語の種類 「を」 「が」 総計 「を」の割合 欲しい 73 2305 2378 3.1% 好きだ 202 2443 2645 7.6% 嫌いだ 22 262 284 7.7% 分かる 397 4583 4980 8.0% 動詞+たい 5796 273 6069 95.5% サ変動詞+たい 4436 0 4436 100.0% 総計 10926 9866 20792 表2:述語の種類と「が」vs「を」 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 90 0% 20% 40% 60% 80% 100% 欲 し い 好 き だ 嫌 い だ 分 か る 動 詞 + た い サ 変 動 詞 + た い が を 図 1:述語の種類と「が」vs.「を」 以下では、このデータをもとに、格助詞の選択に関与する要因を以下の 順に見ていく。検討項目の大部分に関しては、H&Th による「他動性」の 構成要因に一致した傾向が見られるが、話法と人称に関するものについて は、矛盾した傾向が見られる。 − 「被動作主」名詞句の意味・文法特性(§3.2) − 参与項間の関係・アスペクト(§3.3) − 「被動作主」名詞句の限定の度合いとムード(§3.4) − 動詞の特性 (§3.5) − 話法(§3.6) − 人称 (§3.7) 3.2 「被動作主」名詞句の意味・文法特性 最初に「被動作主」名詞句を見る。表3は、「欲しい」、「好きだ」、 「嫌いだ」、「分かる」とともに用いられる「被動作主」名詞句を、出現 頻度順に上から5位まで挙げ、「が」と「を」の生起頻度と「を」の出現 の割合を付したものである。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 91 述語 頻度順位 名詞7 計 「を」 「が」 「を」の割合 1 金 115 0 115 0.0% 2 子供 95 4 91 4.2% 3 時間 74 0 74 0.0% 4 もの 56 4 52 7.1% 欲しい 5 情報 50 3 47 6.0% 1 の 278 0 278 0.0% 2 こと 118 4 114 3.4 % 3 人 71 33 38 46.5% 4 方 46 0 46 0.0% 好きだ 5 絵 43 2 41 4.7% 1 の 23 0 23 0.0% 2 こと 19 3 16 15.8% 3 学校 12 2 10 16.7% 4 言葉 9 0 9 0.0% 嫌いだ 5 勉強 9 0 9 0.0% 1 こと 1178 87 1091 7.4% 2 行方 464 0 464 0.0% 3 さ 183 47 136 25.7% 4 か 176 15 161 8.5% 分かる 5 意味 135 4 131 3.0% 表 3: 出現頻度上位5位の名詞と「が」vs 「を」 「金が欲しい」、「時間が欲しい」、「行方が分からない8」、「~の が好き」、「~方が好き」は、全ての例で「が」が使用され、「を」の生 起は見られなかった。表3において「を」の生起率がもっとも高いのは、 「人を好き」の 46.5%である。 7 本稿では、形態素解析システム『茶筌』によって解析された形態素が、1言語単位であ る。たとえば、「さ」とは形容詞語基に接続する名詞化接尾辞である(ex. 「大きさ」、 「泥臭さ」)。「人」には、「一人」や「受取人」などにおける複合語の構成要素の 「人」も含まれている。 8 肯定文は、464 例中、次の1例しか存在しない。「スタート後 、2―3キロで勝敗の行方 が分かるほどだ。」「分かる」は、否定文で使われることが多い。 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 92 名詞を意味・文法特性別に分類すると、2 章の結論と近似した結果を得 ることができた。分類項目は、人間、感情、代名詞、抽象、具体物、疑問 節、疑問詞・不定代名詞、名詞節の7種類とした9。表 4 は、「を」との 共起がもっとも困難な「分かる」の場合を例にして、「が」と「を」の分 布を名詞の意味特性ごとに示したものである。名詞の意味・文法特性の差 異は、この交替に関して有意である(χ2 (7) = 217.214, p < .01)。すなわち、 「被動作主」が人間の場合には「を」が最も選択されやすく、名詞節など、 不確定な対象である場合には「が」が選択されやすい。 名詞の意味・文法特性 「を」 「が」 計 「を」の割合 名詞節 60 1113 1173 5.1% 疑問詞・不定代名詞 1 18 19 5.3% 具体物 7 124 131 5.3% 抽象 202 2837 3039 6.6% 疑問節 14 159 173 8.1% 代名詞 22 86 108 20.4% 感情 62 176 238 26.1% 人間 29 70 99 29.3% 表 4:「被動作主」の特性と「が」vs「を」(「分かる」の場合) 9 それぞれの意味・文法特性に対応する名詞(または、形態素)を頻度順に挙げ、例文を付す。 人間:子供、人、自分、~のこと、者、子ども、あなた、選手、君、人間 ex:子どもが欲しい。 感情:気持ち、心、痛み、真意、喜び、苦労、心情、愛情、苦しみ、思い ex. 他人の気持ちがわからない。 代名詞:それ、これ、そこ、あれ、アレ、そのもの、コレ ex:それをわかってもらうためにもがんばります。 抽象:行方、~さ、こと、意味、仕事、方、言葉、力、野球、情報、原因 ex. 面白さが分からないヤツはそれでいい。 名詞節:~こと、~の、 ex:そして筆と紙、墨汁を自由に使うのを許したいのです。 具体物:金、もの、時間、絵、本、顔、お金、家、姿、道、酒、車、目、手、 ex:身体をあたためるものが欲しい 疑問詞・不定代名詞:何、~か、の、どこ、どちら、なに、どっち、ところ ex:誕生日の贈り物に何が欲しいか尋ねたところ、 疑問節:疑問詞+か、~かどうか ex :原爆とは何だったのかを考えてたい Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 93 たとえば、「被動作主」が人間である例文(42)、(43)では「を」が用い られているのに対し(「が」も可)、「被動作主」が節および抽象名詞の (44)、(45)では、「を」は不可であり、対照的である。10 (42) 相手を分かっていないと 、不測の事態を招きかねない。 (43) 初めておやじを分かったように思う。 (44) 最後の1周は氷に力が伝わらないのが分かり、だめだなと思った。 (45) 素足で乗るだけで、その人の体脂肪率が分かるそうです。 面白いのは、名詞が人間の「感情」をあらわす(46), (47)のような例にお いて、「を」が高い頻度で選択されている点である(「が」も可)。意味 的に、真の「被動作主」は「感情」の所有者である人間と考えられる。 「人間」は文法構造上、「感情」を示す名詞を限定していて、述語の直接 の項ではないが、「を」が選択されやすい理由は、命題内で「人間」の卓 立性が高いからと考えられる。11このデータは、「人間」の「被動作主」 の場合に「を」が選択されやすいのは、「動作主」と「被動作主」の区別 をつけるためであるとする説明への反例となる。 (46) 裁判所は被害者の気持ちを分かっていない。 (47) 他人の痛みを分かる人であってほしいと思います。 続いて、表 5 が示すとおり、述語が「好きだ」(χ2 (2) = 265.244,p < .01) と「嫌いだ」(χ2 (2) = 28.4752, p < .01)の場合も、「分かる」と同様の傾向 が観察できる。「人間」を示す語は「を」との共起傾向が強く、「名詞 節」は「が」との共起傾向が強い。 10 可能な限り筆者による容認度の判断も付記するが、既述のとおり、簡単なことではない。 11類似した現象は、ヨーロッパの様々な言語で観察される所有者をあらわす与格や、日本 語の敬語にも見られる。Cf.藤村(1993)。 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 94 「を」 「が」 計 「を」の割合 名詞節 60 1108 1168 5.1% 抽象 201 2822 3023 6.6% 分かる 人間 29 70 99 29.3% 名詞節 0 30 30 0.0% 抽象 2 126 128 1.6% 嫌いだ 人間 10 34 44 22.7% 名詞節 0 363 363 0.0% 抽象 45 1092 1137 4.0% 好きだ 人間 114 296 410 27.8% 表 5:「被動作主」の特性と「が」vs「を」 (「分かる」、「嫌いだ」、「好きだ」の場合) 「好きだ」と「嫌いだ」が述語のとき、「被動作主」が名詞節の場合に は、「を」の用例は存在せず「が」が常に選択されている(例 48、49)。 (48)、(49)での「を」の使用は不可である。「人間」の場合には (50)のよ うに「を」が使用されており(「が」も可)、 (51)でも「を」は不可では ない。 (48) 皆さんとお話をするのが嫌いというわけではなく、ただ一人でやる方 が、だれにも気がねなく、楽しいのです。 (49) あなたは、マンガ本を読むことが好きですか。 (50) 「お母さんはお父さんの前に、だれか別な人を好きだったと?」 (51) 先生が嫌いで、学校は面白くなかった。 既述のとおり、願望文では「を」の使用が圧倒的であるが、表 6 が示す ように使用傾向は「被動作主」が人間かそうでないかによって異なり、 「人間」と「を」、「人間以外」と「が」の共起傾向が確認できる(χ2 (1) = 4.63, p < .05)。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 95 「を」 「が」 計 「を」の割合 人間以外 5566 268 5834 95.4% 人間 230 2 232 99.1% 表 6:「被動作主」が人間か否かと「が」vs「を」 (「動詞+たい」の場合) 「被動作主」が「人間」の場合に「が」が選択されているのは、232 例 中、以下の2例のみであり、0.9%と希少である。動詞はどちらも「見る」 である(2例とも「を」も可)。 (52) Gファンだった私は「王選手が見たい」と母にねだり、住んでいた北 海道北部の小さな町から片道5時間かけて球場に連れていってもらっ た。 (53) 最近、これらの曲がテレビドラマやCMに盛んに用いられ始め、メン バーの周辺でチューリップが見たいという声が高まっていた12。 H&Th の挙げた他動性の要因の中には、「被動作主」が人間か否かとい う特性が含まれており、人間の方が他動性が強いと考えられている。この 考えはその後の他動性の研究に必ずしも引き継がれてはいないが (Tayler(2003)、García-Miguel(2007))、本稿の結果は H&Th に一致する。 動詞の種類の問題に関しては、後で再び取り上げる。 3.3 抽象活動名詞の「被動作主」:「したい」の場合 「たい」に前接する動詞の中でもっとも頻度が高いのは「する」であり、 「が」の例文を 101 例、「を」の例文を 564 例採取することができた。以 下では、「したい(する+たい)」の「被動作主」である活動名詞の特性 と格表示の関係を観察する。 表7に挙げた高頻度の名詞の中では、「努力」、「活動」、「対応」と 「が」との共起が一例もないことが注目される。 12 「チューリップ」は、グループ名。 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 96 名詞 「を」 「が」 計 「を」の割合 仕事 56 23 79 71.9% 話 22 9 31 71.0% 何 25 2 27 92.6% こと 19 2 21 90.5% 努力 19 0 19 100.0% 試合 15 3 18 83.3% 野球 11 3 14 78.6% 勉強 10 3 13 76.9% 活動 11 0 11 100.0% 対応 10 0 10 100.0% 表7:抽象活動名詞の「被動作主」と「が」vs「を」 (「したい」の場合) (54)、(55)は、政治家や行政官が多用する言い回しである。「努力す る」、「対応する」と他動詞終止形で表現しても、意味に変わりはない。 「たい」を使って願望を装うことにより、実現の保証を回避してはいる が、「を」を使用することによって、実現の意志のあることは示してい る。「が」の使用も可であるが、意志性が弱まるので得策ではない。現実 のムードであるほど他動性が高いというのは、他動性の研究において一致 した見解である。 (54) 池田行彦外相日米安保条約の義務履行に支障が生じないよう、日本政 府として最大限の努力をしたい。 (55) 会議の後、窪田村長は役場で会見し、「捜査本部から公式発表があり 次第、何らかの対応をしたい。 続いて、31 例の生起のあった「話(が/を)したい」を観察する。「話 がしたい」の場合、「話」の内容は特定化されず、「(活動としての)お しゃべりがしたい」という意味を持つ傾向があるのに対し(例 56、57)、 「話をしたい」の場合の「話」は、具体的に定まった「話」の場合が多い (例文 58、59)。「被動作主」の限定の度合が、他動性の要因として重要で あることは繰り返し言われてきたことである。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 97 (56) 同センターには、深夜0時ごろに決まって「話がしたい」「さみし い」という子どもの電話がかかる。 (57) 「死ぬまでに、一度、子供たちと話がしたい。でも、怖いなあ。『ま だ、生きていたのか』と言われそうで」 (58) 「インターネットのモニターに選ばれた。お会いして話をしたい」。 こんな誘いかけに応じたところ、必要もないのに高額のパソコンなど を送りつけられてしまった、という消費者被害が増えている。 (59) 2人は「被害の実態を自分たちの目と耳で確かめ、祖母と日中戦争の 話をしたい」と話している。 3.4 動詞の特性:動詞+「たい」の場合 願望文の場合には「が」の生起率は 5%未満で、「を」が 95%を超える ことはすでに見た。表8からは、「が」と「を」の選択には、動詞の種類 による明確な偏りのあることが観察できる。表8は、出現頻度が上位 30 位までの動詞に関して、「を」と「が」の生起頻度と「を」と「が」の出 現率が示されている。 動詞 「を」 「が」 総計 「を」の割合 「が」の割合 し 564 101 665 84.8% 15.2% 見 119 54 173 68.8% 31.2% 作り 168 1 169 99.4% 0.6% 知り 119 30 149 79.9% 21.1% やり 118 11 129 91.5% 8.5% 求め 110 0 110 100.0% 0.0% 目指し 91 0 91 100.0% 0.0% つけ 91 0 91 100.0% 0.0% 伝え 87 0 87 100.0% 0.0% 出し 86 0 86 100.0% 0.0% 続け 85 0 85 100.0% 0.0% 図り 81 0 81 100.0% 0.0% 進め 79 0 79 100.0% 0.0% FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 98 動詞 「を」 「が」 総計 「を」の割合 「が」の割合 得 78 0 78 100.0% 0.0% 送り 78 0 78 100.0% 0.0% 聞き 68 9 77 88.3% 11.7% 考え 72 0 72 100.0% 0.0% 書き 60 4 64 93.8% 7.2% 望み 63 0 63 100.0% 0.0% つくり 62 0 62 100.0% 0.0% 持ち 62 0 62 100.0% 0.0% 取り 61 0 61 100.0% 0.0% 決め 58 0 58 100.0% 0.0% 見守り 53 0 53 100.0% 0.0% 表し 53 0 53 100.0% 0.0% 描き 52 0 52 100.0% 0.0% 広げ 50 0 50 100.0% 0.0% 食べ 24 25 49 49.0% 51.0% 避け 48 0 48 100.0% 0.0% 楽しみ 47 0 47 100.0% 0.0% かけ 47 0 47 100.0% 0.0% 表 8: 動詞の特性と「が」vs「を」(動詞+「たい」の場合) 「が」との共起が観察された動詞は、次の8個のみである。「が」の割 合が多い順に、「食べたい」(「が」:51%)、「見たい」(同:31%)、 「知りたい」(同:20%)、「したい」(同:15%)、「聞きたい」 (同:12%)、「やりたい」(同:9%)、「書きたい」(同:6%)、 「作りたい」(同:1%)と続く。他の 22 個の動詞には「が」との共起は なかった。「食べる」、「見る」、「知る」、「聞く」は、外界の存在物 を「動作主」に取り込むタイプの動詞である。その行為は「動作主」の内 部で完了し、行為の結果の外界における残存は含意されないので他動性は 低い。例文(52)、(53)において、強い他動性のマーカーを要求する人間が 「被動作主」であっても、述語が「見たい」の場合には、「が」が選択さ れることを見た。以下には同じタイプの動詞の例を挙げた。「を」が選択 されると、願望の実現への意志が強調された文となる。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 99 (60) 母国の地を踏んだ。127日に及んだ人質生活。「すし、うなぎ、そ ばが食べたい」と第一声。 (61) そんな息子も結婚適齢期。早く孫の顔が見たいのに、いまだに彼女の 「カ」の字も言ってくれない。 (62) モンゴルの草原を10日間ほど旅して、ウランバートルに帰った日、 無性に日本のことが知りたくなった。 「が」の生起のない動詞には次のような特性がある。まず、「求める」 「伝える」「送る」のような3項動詞がある(例 63)。次に、「つけ る」「出す」「続ける」「進める」のように対応する自動詞との間に形態 的対立の存在する他動詞がある(例 64, 65)。さらに、「目指したい」、 「図りたい」、「望みたい」のような、「たい」と結合すると、「動作 主」の強い意志をあらわすタイプの動詞がある(例 66)。(63)から(66)ま では、「が」の使用は不自然である。 (63) これまで大人がうかがい知ることができなかった“真の14歳の心” を伝えたい」と話している。 (64) 準々決勝戦で西京を抑え込んだ長崎伸一投手は「投げる機会があれば、 自分の持ち味を出したい」ときっぱり。 (65) 宗茂監督は「まずトラックの5000メートルを走り込み、スピード をつけたい」と語り、 (66) 訪朝を実現させることで社民党との信頼関係回復を図りたい。 「を」と「が」の間の選択には動詞のタイプが大いに関与している。 「動作主」においてプロセスが完了するタイプの動詞は「が」と共起しや すく、「被動作主」に結果が残存し、それが外界に影響を与えるタイプの 動詞は「を」と共起しやすい。本研究の問題と他動性の問題を切り離して 考えることができないことは明らかである。 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 100 3.5 参与項間の関係、アスペクト 参与項の数やアスペクトは、他動性を構成する重要な要因である。参与 項の数を規定する補助動詞の種類によって、「が」と「を」の出現の傾向 が異なることは、Makino (1976: p.110) が指摘している。Makino は可能文 を対象にして、「が」と「~ようになる」、「を」と「~ようにする」の 間に、共起傾向があることを以下のように例示している。 (67) 次第に太郎はモーツアルト(が・??を)引けるようになった (68) 中学を出る前に、太郎はモーツアルト(を・??が)引けるようにした。 同じ傾向は、「分かる」においても認められる。表 9 は「分かる」に 種々の補助動詞が後続する場合の「が」と「を」の出現頻度と「を」の割 合をまとめたものである。図 2 は「が」と「を」の割合をグラフにしたも のである。 「を」 「が」 計 「を」の割合 分からなくなる 0 618 618 0.0% 分かってくる 1 309 310 0.3% 分かるようになる 4 106 110 3.6% 分かるようにする 8 36 44 18.2% 分かってもらえる 31 53 84 36.9% 分かってくれる 73 6 79 92.4% 分かってもらう 95 0 95 100.0% 分からなくする 16 0 16 100.0% 計 228 1128 1356 表 9:「分かる」に後続する補助動詞と「が」vs「を」 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 101 0% 20% 40% 60% 80% 100% 分 か ら な くな る 分 か っ て くる 分 か る よ う に な る 分 か る よ う に す る 分 か っ て も ら え る 分 か っ て くれ る 分 か っ て も ら う 分 か ら な くす る が を 図 2:「分かる」に後続する補助動詞と「が」vs「を」 述語が「分かる」のとき、複合述語の可能文よりも「が」の出現傾向が 強いが、Makino の指摘と同様に「を」は「分かるようにする」と共起し やすく、「が」は「分かるようになる」と共起しやすい傾向がある(χ2 (1) =8.94, p<.01)。しかし、図2を見ると、この二つはどちらも全体の中では 中間の位置にあり、どちらも「を」よりも「が」と共起する頻度が高い。 図2において、「分かるようにする」よりも右側に位置する補助動詞は、 項の数を増やす使役的(他動詞的)なタイプのものであり、これらが接続 すると「を」の使用が促進される。左側にあるのは、項の数を減らす自発 的(自動詞的)なタイプのものであり、「が」の使用が促進される。他へ の働きかけの強い「分からなくする」と「分かってもらう」(例 69、70) には「が」の使用例は1例もなく、自発性の強い「分からなくなる」には 「を」の例が一例もない。「分かってくれる」には「が」の使用例がわず かに存在し、「分かってくる」には「を」の例が 1 例のみ存在する(例 71、 72)。筆者の判断では、(69)では「が」は不可、(70)では「が」はかろうじ て可、(71)では「を」は可、(72)では「が」はかろうじて可である。 (69) 身元を分からなくするため、顔や指の一部を薬品で損傷した、という。 (70) 海外の『ZEN』愛好者に『色即是空』を分かってもらうには、まず、 文化理解から (71) この楽器に対する先入観がないから、逆に正しく理解し価値が分かっ てくれるのではないか、と」 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 102 (72) 最後はひやひやしたけど、選手がポイントでの戦いを分かってきたよ うだ。 この結果は、自発の表現では「が」が要求され、他動性が強くなるほど 「を」が要求されるという原型的な他動性のモデルに合致している。 しかし、注意せねばならないのは、補助動詞「なる」の追加によって 「が」の使用が常に促進されるわけではないという点である。表 10 が示 すように、「好きだ」及び「嫌いだ」に「なる」の接続した「好きにな る」、「嫌いになる」では、接続しない場合よりも「を」の使用は大幅に 増加する。例文 (73)、(74)では「を」の使用は不可か不自然であるが、 (75)、(76)ではまったく自然である。「好きだ」や「嫌いだ」のような 「状態」を表す述語の場合に「なる」が後続すると、アスペクトが「状 態」から「動態」へと変化することが理由である。恒常的状態を表す「好 きだ」に比べて、「好きになる」という出来事は「被動作主」における変 化を含意するためである。 「が」 「を」 「を」の割合 嫌いになる 20 14 41.2% 嫌いだ 242 8 3.2% 好きになる 105 113 51.8% 好きだ 2324 70 2.9% 表 10:述語のアスペクトと「が」vs「を」 (73) 福祉の現場の仕事に就きたいという人の条件は、人が好きと言うこと。 (74) 毎日同じ時間に行く、制服で全員が同じにする、という不自由さ。そ れが嫌いなだけだが、悪名は鳴り響いていた。 (75) 人を好きになるって、すてきなことですよね。 (76) だが、「熱血」一辺倒の指導の陰でスポーツ本来の楽しさを知らない まま、それを嫌いになる子供が無視できない数で存在するのも事実だ。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 103 3.6 話法:「欲しい」の場合 「欲しい」は主観性の述語である。「欲しい」のあとに終助詞以外の要 素が何も後続せず言い切られている場合、もっぱら主観的な願望を表す文 となる。つまり、発話者本人の心的状況に関する内的な描写であって、外 界への働きかけがアプリオリに含意されているわけではない。これに対し、 「欲しい」のあとに、「と思う」や「と言う」などの間接話法のマーカー がついている場合、それは外部からの客観的な描写となり、主体の願望は 相対化される。13本節の主張は、これに伴って、命題の重心も相対化され、 「欲する動作主」のみならず、「欲される被動作主」への働きかけ、およ び「被動作主」それ自体への関心がクローズアップされるというものであ る。表 11 が示すように、「と言う」の類および「と思う」の類が「欲し い」に後続して言い切られている場合には「を」が選択されやすく、単純 な言い切りでは「が」が選択されやすい(χ2 (1) = 109.717, p < .01)。 を が 総計 「が」の割合 欲しい(言い切り) 3 864 867 0.3% 欲しい+「と思う」の類 12 72 84 14.3% 欲しい+「と言う」の類 16 96 112 14.3% 表 11: 話法と「が」vs 「を」(「欲しい」の場合)14 次のような例がある。(77)、(78)では「を」の使用は不自然である。 (77) カーナビや冷蔵庫が欲しいなぁ。 (78) 今年こそ結果が欲しい。 (79) ウチの社長も七十歳を過ぎて勲章を欲しいと言い出した。 13 同じ観察は、主観表現である「動詞+たい」の願望文でも行えるはずであるが、願望文 では全般に「を」の頻度が極めて高いので、有意差のある結果は得られなかった。 14 補助動詞、および、アスペクト・モダリティ要素を伴わない場合のみを対象にしてい る。これを「言い切り」と呼んでいる。 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 104 (80) ドライバーが情報を欲しいと感じるのは、自分の行こうとしている先 がどうなっているかであって、東海道を行くのに東北自動車道の情報 はいらない。 H&Th は、「動作主」が 1 人称のときにはそうでないときよりも他動性 は強いとし、この考えは一般に支持されている(例えば Taylor (2003)、 García-Miguel (2007))。しかし、本研究のデータはこれに反する。本研究の データでは、「被動作主」が「が」でマークされる傾向は、「動作主」が 1人称の場合に強く、「を」でマークされる傾向は、動作主が3人称の場 合に強い。すなわち、「動作主」が1人称の場合は、3人称の場合よりも 他動性が弱いということになる。 3.7 人称 最後に「動作主」および「被動作主」の人称の問題を検討する。本稿の 目的は、第2項名詞句が、発話者にとって重要な「被動作主」である場合 に他動性が高く、そうでない場合には他動性が弱いという修正版の「他動 性仮説」の必要性を確認するであるが、ここで見る人称の問題は、この提 案の必要性を最もよく示している。H&Th(1980)の提案による他動性仮 説によると、他動性の高い命題の「動作主」は、命題の中でもっとも卓立 した名詞句でなければならないとされ、この点において、以下に述べる事 実と矛盾する。 表 12 は、述語を「好きだ」「嫌いだ」「分かる」「欲しい」に限り、 「動作主」は1人称と3人称名詞句のみ、「被動作主」は、「自分」とい う語と1人称、2人称、3人称名詞句のみに限って得たデータから成って いる。ここで3人称というのは、1人称、2人称以外の、固有名詞を除い た特定的な人間を表す名詞句を指している。15すなわち、表 12 のデータは、 15 固有名詞を除いた理由は、固有名詞の中には、有名人や、本や絵の作者(たとえば、ゴ ッホ、福沢諭吉)などが含まれ、分類が容易でないからである。願望文を扱わなかった理 由は、この条件下では、「が~たい」の例が存在しなかったからである。 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 105 「動作主」「被動作主」ともに指示対象はすべて人間である。データの総 数は 205 例である。 まず「動作主」が1人称の場合と3人称の場合とを単純に比較する。 「動作主」が 1 人称、すなわち話し手の場合には「被動作主」が「を」で 表示されることは少なく (42/147, 29%)「が」が多用されるが、「動作主」 が3人称の場合には「を」が多用され(34/58, 59%)(χ2 (1) =14.38, p<.01)「が」は少ない。これは、前節の話法の議論で得た結果と同じで ある。「動作主」が1人称の例文は(81)-(84)であり、「動作主」が 3 人称 の例文は(85)-(88)である。 次に「動作主」の人称別に「被動作主」の人称を見る。まず、「動作 主」が1人称のときには、「被動作主」が「自分」という語で表された発 話者自身の場合に特に「を」の出現傾向が高く(25/47, 53.2%, 例 84)、 「被動作主」が、1人称、2人称、3人称の場合(17/100, 17.0%, 例 81-83) との間に有意差がある (χ2 (1) =20.52, p<.01)。次に「動作主」が 3 人称の ときには、「被動作主」が、2人称、1人称、「自分」の場合に「を」の 出現傾向が極めて高く(19/26, 73.1%, 例 86-88)、「被動作主」が3人称の 場合(15/32. 46.9%, 例 85)との間に有意差がある(χ2 (1) =4.06, p<.05)。 「動作主」 「被動作主」 を が 「を」の割合 3人称(人間・定) 13 46 2人称 2 33 1人称 2 4 「自分」以外:合計 17 83 17.0% 1人称 「自分」(=「動作主」) 25 22 53.2% 「動作主」が1人称の場合:合計 42 105 28.6% FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 106 「動作主」 「被動作主」 を が 「を」の割合 3人称(人間・定) 15 17 46.9% 2人称 4 1 1人称 7 4 「自分」(=発話者,共発話者) 8 2 3人称 3人称以外:合計 19 7 73.1% 「動作主」が3人称の場合:合計 34 24 58.6% 表 12: 人称と「が」vs「を」 (81) 非常に残念なのは、ああいう結果(全員死亡)に終わったことだ。私 は彼らのことが好きだったし、彼らの考えを変えようとしたが、結局 できなかった。(動作主:1人称、被動作主:3人称)(「を」も可) (82) あなたが好きですから、あえて申します。あなたは首相を辞めるしか ないのです。(動作主:1人称、被動作主:2人称)(「を」は不自 然) (83) 「丸山ワールド」から飛び出してきたようなカップルを“観察”する と、「彼といて幸せそうな私が好き」といったふうに映る。(動作主: 1人称、被動作主:1人称)(「を」は不自然) (84) 今はまだ心から自分を好きになってはいないけれど、こんなふうに時 に深く自分の中に落ち込んでいく自分を少し許せるようになりました。 (動作主:1人称、被動作主:「自分」1人称)(「が」も可) (85) 心の底では父親が好きなのです。子供は子供なりに父親のことを分か っているのです。(動作主:3人称、被動作主:3人称)(「を」も 可) (86) 通りかかったタクシーで難を逃れたが、女性の同僚に相談したら「彼 はあなたを好きだったんじゃないの」と笑われた。(動作主:3人称、 被動作主:2人称)(「が」も可) (87) 鳩山氏「菅さんが本当に私を好きか、わかったものじゃないが、そん なことはどうでもいい。(動作主:3人称、被動作主:1人称) (「が」も可) (88) 男性が自分のことを好きでいてくれないと、自分からは近づいていけ ないタイプなんですね、私は。(動作主:3人称、被動作主:「自分」 1人称)(「が」は不可) Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 107 表 12 の結果は、図 3 のようにまとめることができる。すなわち、主観 性の点で16、「被動作主」が「動作主」よりも発話者に近い場合には、 「を」が選ばれる傾向がある。17逆に、「動作主」の方が「被動作主」よ りも発話者に近いか、または同等の場合には「が」が選ばれる傾向があ る。ここでみた事実は、「が」「を」の選択は、助詞の接続する名詞句の 特徴にのみ依存するのではなく、命題全体の問題であることをよく表して いる。 「被動作主」 3人称 「彼」 2人称 「あなた」 1人称 「私」 「自分」 (発話者) 1 人称「私」(が) が を 「動作主」 3 人称「彼」(が) が を 図 3: 主観性と「が」vs「を」 4 おわりに 本稿では、「被動作主」を表示する「が」と「を」の交替を研究した。 最初に、Fujimura (1989) において、ネーティブ・スピーカーとしての内省、 インフォーマント調査の結果、3冊の小説からなる小規模コーパスの実例 の観察に基づいて明らかにした交替の条件を紹介した。続いて、10 年分の 新聞からなる大規模電子化のコーパスに基づく計量的分析によってそれら を検証した。今回明らかにできた「が」と「を」の選択の条件は表 13 に まとめられる。個々の条件は絶対的なものではなく、それぞれが独立して いる。「が」が好まれる条件が命題の中に多いほど「が」が実現しやすく、 「を」が好まれる条件が多いほど「を」が実現しやすいと考えられる。 16 ここで例に挙げた「主観性」は、ウチソトの関係ではなく、発話の場をもとにした主観 性であるが、さらに詳しい研究が必要である。 17 「私」と「自分」がどう違うのかなど、検討すべき問題は数多く残っている。 FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 108 「が」が好まれる 「を」が好まれる 述語 単純述語:「欲しい」、 「好きだ」、「嫌いだ」、 「分かる」 複合述語「―たい」 構造 動詞+「たい」 名詞+「したい」 「食べる」「見る」、「知 る」対象 「つける」、「出す」、「続 ける」対象 不特定 特定 人間以外 人間 名詞節 名詞節以外 自発の対象 (「分かる」の場合) 使役の対象 (「分かる」の場合) 3人称 1人称 「被動作主」の性質 「他」 「自分」 1人称 3人称 「動作主」の性質 願望の主体 意志の主体 アスペクト 状態 動的 非現実 現実 ムード 潜在的 顕在的 他動性 弱 強 表 13:「が」と「を」の交替の条件:毎日新聞による結果 これらの条件は、Fujimura (1989) において提案した、表1に掲げた条件 と異なるものではない。大規模コーパスを用いて行った検索の結果とその 分析は、Fujimura(1989)の結論を支持し、「が」と「を」の交替は、H&Th の他動性では説明がつかないこと、他動性によってこれを説明するために は、命題内での「被動作主」の卓立性に基づいた別の定義による「他動 性」が必要であることを再確認した。 表 13 に挙げた項目のうち、H&Th の提案による他動性仮説に照らした 場合にもっとも問題となるのは、人称に関わる部分である。「被動作主」 が「3人称」であるよりも、「発話者自身」である場合の方が他動性の度 合が高いというのは、素朴な「自他」の考え方からすると矛盾と感じられ るだろう。一般に、「他動性」の強さは「動作主性」の強さの延長上に捉 えられることが多いが(ヤコブセン(1989)など)、その考え方の背景に あるのは、人間は「動作主」であるという考え方であり、人間の代表とし ての「私(=発話者)」は、典型的な「動作主」と考えられる。「動作 主」である「私」に意志とパワーがあれば、その影響のおよぶ範囲は拡大 Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 109 し、影響の強さも大きくなり、従って「他動性」は強くなると考える。し かし、人間はまた、典型的な「被動作主」でもある。「自分自身」が「被 動作主」の場合に「他動性」が強くなる理由は明白である。発話者が他に 与えた影響に比べて、発話者本人に与えられた影響は、発話者にとって重 大であり、強く感じられるに違いないからである。「私」が「被動作主」 であれば、「動作主」は「私」以外である。「動作主」が「私」で「被動 作主」が「私」以外の、逆の場合に比べて、どちらの他動性が高いかがこ の議論の焦点であるが、「他動性」の本来の定義である「ある行為が他に 影響を及ぼす度合」に立ち返るなら、前者の他動性が高いと考えることに 理がないわけではなかろう。「動作主」を固定した上で「被動作主」が蒙 る影響の多寡を計るという考えに固執する必要はないはずである。 例文(81)と(88)を再び見る。これらはどちらも「私=発話者」について の叙述文である。(81)は、「動作主(主語)」である「私」の心象を叙述 していて、「彼ら」が「私」の愛情の影響を受けたかどうかはわからない。 「彼ら」は卓立した「被動作主」とは言えず、「が」による表示で十分で ある。「を」を用いることも可であるが、そうすれば「彼ら」の存在感は 増し、「私」と「彼ら」の間の関係の描写文となる。一方、(88)は、「被 動作主」である「自分=発話者」についての叙述である。この例では、 「を」を「が」に変更することは難しい。「動作主」の「男性」は聞き手 には知られていない不定の人物である。「自分」は男性からの愛情を受け ている卓立した「被動作主」である。「自分」は命題内で中心的役割を担 っているため、「を」によってそのことが表示されなければならない。 (89) 非常に残念なのは、ああいう結果(全員死亡)に終わったことだ。私 は彼らのことが好きだったし、彼らの考えを変えようとしたが、結局 できなかった。 (90) 男性が自分のことを好きでいてくれないと、自分からは近づいていけ ないタイプなんですね、私は。 Fujimura(1989)では実例の調査も行ったが、例文の総数は約 150 例に過 ぎなかった。本稿で扱った例文は、可能文を含まず、述語の直前に名詞の 来るものだけで 20000 例を超えた。20000 例に基づいた議論が、150 例に FUJIMURA Itsuko: The Choice of Patient Markers GA and O in Japanese : … 110 基づいたものより信頼性が高いことに疑いの余地はない。それは、理論面 と、言語記述の両方において言えるが、言語記述の面では、これまでに行 い得なかった詳細な記述が可能になったという点で貢献は明白である。従 来の方法では予想不能な言語学的発見をなし得ると考えられる。現段階か ら見て、Fujimura(1989)は、次の点が批判される。 − 述語による条件の違いが考慮されていない。「好きだ」と「嫌い だ」は傾向が似ていて、「欲しい」は異なる。「欲しい」の「被 動作主」はほとんどが不特定なのに対し、「好きだ」と「嫌い だ」の「被動作主」は特定だからかもしれない。品詞が異なるか らかもしれない。「分かる」と「出来る」はこれらとは異なる。 特に、可能文と願望文を同じように扱っているのは大雑把すぎる。 − 願望文で「が」が選ばれるのは、名詞が「具体物」の場合が多い。 抽象名詞は「を」と共起しやすい。他動性の要因のひとつとして、 「個体性」が一般に支持されているが、本稿の現象については、 個体性に関して熟慮が必要である。 − 動詞にアスペクトやムードが加わった場合にどのような意味が生 成されるかは、語のレベルで細かく異なるはずなので、詳細な検 討が必要である。 − 主題性、情報量、語順に関しては、詳細な調査の必要がある。 − 各要因は独立しているものばかりではないので、要因間の関係に も注意を払うべきである。 最後に、今回の調査は、新聞という特定のジャンルのテキストのみを対 象としたので、ジャンルを広げた調査もまた必要である。 参考文献 藤村逸子 (1989) : 「他動性再考―使役構文内での格付与の問題をめぐって」、 『フランス語学研究』23、p.40-54. 藤村逸子 (1993) : 「所有者と与格」『< 特定研究 > 情報とコミュニケーション』, 名古屋大学言語文化部、p.25-42. Asian and African Studies XIII, 1 (2009), pp.73-112 111 井上和子 (1986) :「格付与と意味」『月刊言語』15-3,p.102-111. 柴谷方良 (1976):『日本語の分析』、大修館 ヤコブセン、ウェスリー・M、(1989) :「他動性とプロトタイプ論」,久野・柴谷編 『日本語学の新展開』くろしお出版, p.213-248. Bybee, Joan L. & Paul Hopper (ed) (2000): Frequency and the Emergence of Linguistic Structure (Typological Studies in Language), Benjamins. Fujimura, Itsuko (1989) : “Un cas de manifestation de degré de transitivité : l’alternance des relateurs GA et O en japonais”, Bulletin de la Société de Linsuistique de Paris, 84- 1, p.235-57. Fujimura, Itsuko (2009, in press) : “Interaction entre la syntaxe des lexèmes et le sémantisme des parties du discours : nom vs. adjectif de couleur en japonais”. Fujimura, Itsuko et al. (2004) : “De vs des devant les noms précédés d’épithète en français: le problème de petit”, in Le Poids des mots 1.. Gérald Purnelle et al (ed), 456-467. Presse Universitaire de Louvain. García-Miguel, José, M. (2007) : “Clause Structure and Transitivity”, in The Oxford Handbook of Cognitive Linguistics, Oxford University Press, p.753-81. Hopper, Paul & Sandra Thompson (1980) : “Transitivity in Grammar and Discourse”, Language 56, p.251-299. Makino, Seiichi (1976) “On the Nature of the Japanese Potential Construction”, Papers in Japanese Linguistics, 4, p.97-124. Sugamoto, Nobuko (1982) “Transitivity and Objecthood in Japanese” in Syntax and Semantics 15, P. Hopper & S. Thompson(ed), Academic Press. Tesnière,Lucien (1959) :Eléments de Syntaxe Structurale, Klincksieck. Taylor, John R (2003) : Linguistic Categorization, 3rd ed. Oxford University Press.