Asian and African Studies XIII, 3 (2009), pp.107–115 107 UDK: 303.62 COPYRIGHT@: KLARA HRVATIN, NOBUHIRO ITO Interview with Michio Mamiya: A Composer Devoted to the “Folk” 間宮芳生氏へのインタビュー: 作曲家は「民謡」に何ができるか? Klara HRVATIN∗, Nobuhiro ITO** クララ・フルヴァティン、伊東信宏 Abstract Through the interview which we undertook at the composer Michio Mamiya's house in November 2008, we would like to highlight the composer's inspiration and the process of composing an arrangement from a Japanese folk song, more precisely an arrangement for voice and piano – Maimai, for which the composer used folk song Kagura mai as the basic source. The song is a part of Mamiya's most representative work Nihon Min’yō-shū, on which the composer started to work as early as in 1955 and is still working today. The collection also represents the most significant work of Yagi no kai – the postwar group of composers to which Mamiya belonged. The group was very significant in developing new compositional styles by incorporating Japanese folk songs and other traditional music into their works. Among the composers exploiting the Japanese tradition in the 1950’s he was the only one seriously concerned with Japanese folk songs, and to this day remains its ‘devotee’. Keywords: Michio Mamiya, Yagi no kai, Nihon Minyō-shū, Nihon Minyō Taikan, Maimai, Kagura mai 要旨 2008 年 11 月、我々は、作曲家間宮芳生氏に対して、氏の自宅においてインタビュー を行なう機会を得た。そこで目指したのは、日本民謡の編曲、とりわけ「神楽舞」に 基づく声とピアノのための作品「まいまい」を編曲した契機と過程を明らかにするこ ∗ Klara Hrvatin, PhD student, Department of Musicology and Theater Studies, School of Letters, Osaka University, Machikaneyama-cho, Toyonaka, 560-8532, Japan. E-mail: ribica_2000@yahoo.com ** Nobuhiro Ito, associate professor, Department of Musicology and Theater Studies, School of Letters, Osaka University, Machikaneyama-cho, Toyonaka, 560-8532, Japan. E-mail: buhiro@mac.com Klara HRVATIN, Nobuhiro ITO: Interview with Michio Mamiya 108 とである。この作品は、間宮氏の代表作の一つである『日本民謡集』に収められたも のであるが、この曲集は 1955 年に作曲が開始され、現在もいくつかの編曲が進行中 というものである。これは、また同時に「山羊の会」(第二次大戦後の作曲家グルー プで、間宮氏もその一員であった)の代表的作品の一つでもある。このグループは、 日本民謡、および日本のその他の伝統音楽を作品の中に取り入れるという点で重要な 役割を果たした。1950 年代において、日本の伝統音楽との関連で自分の作品を作り上 げようとした作曲家たちの中で、間宮氏は日本の民謡に最も真剣に取り組み、それを 今日に至るまで継続している数少ない作曲家であるといえる。 キーワード:間宮芳生、山羊の会、『日本民謡集』 、『日本民謡大観』、「まいま い」、神楽舞 1 解題 間宮芳生氏(1929 年〜)は、東京に住む、現在 80 歳の作曲家、ピアニスト、 指揮者である。作曲家の自宅を訪れて、その聡明さに触れる機会を得て、筆 者は第二次大戦後の日本の現代音楽において重要な役割を果たしてきたこの 作曲家が、今もなお、極めて精力的に活動していることに深く印象づけられ た。2008 年 12 月には、彼は東京混声合唱団を指揮し、また 2009 年 3 月には カルテット・エクセルシオールが彼の弦楽四重奏曲を演奏し、そして 6 月に は著名な舞踏家田中泯も参加する新作オペラ「ポポイ」の公演が予定されて いる。 間宮氏の作品は、オペラ、合唱曲、管弦楽作品、室内楽、そして日本の伝 統楽器のための作品などに及ぶ。代表作は、オペラ『昔噺人買太郎兵衛』、 『夜長姫と耳男』、シアターピース『怪談侘助の首』、「オーケストラのた めのタブロー」、ヴァイオリン協奏曲第1番、第 2 番、ピアノ協奏曲第 1〜3 番、ピアノ・ソナタ第1〜3 番、「合唱のためのコンポジション」第 1〜17 番 、などである。また「火垂るの墓」、「セロ弾きゴーシュ」、「太陽の王子 :ホルスの大冒険」「草原の子テングリ」など、映画(アニメーション)の音 楽で彼の名を知っている人も多いだろう。 筆者自身は、文楽の形式を借りたオペラ『鳴神』で間宮氏の作品に出会っ た。これは 1974 年にザルツブルクのテレビのためのオペラ国際コンクールに 出品され、グランプリを獲得した作品である。また、後に氏の作品集『日本 民謡集』において、日本民謡の編曲作品も知ることになった。この作品集は 、1955 年から 1999 年までに 27 曲が完成しているが、現在さらに 3 曲が作曲 中である。筆者は、このうちとりわけ 1965 年に編曲された「まいまい」に関 Asian and African Studies XIII, 3 (2009), pp.107–115 109 心を持った。この作品は富山県の民俗芸能「神楽舞」1に基づく編曲で、筆者 は修士論文 (Hrvatin 2009)でこの芸能を詳しく扱った。 間宮氏は、林光、外山雄三、のちの助川敏弥氏らと共に、作曲家グループ 「山羊の会」の一員だった。このグループは、「日本的なもの」を表現する 新たな作曲様式を追求しようとしており、1950 年代から 60 年代の初めにかけ て活動した。彼らは、バルトークのようなやり方で真に民族的な音楽を作り 出そうとしており、日本の民謡や伝統音楽を作曲に取り入れた。戦前の作曲 家たちと異なり、彼らは民俗音楽を作曲に取り入れたばかりではなく、文学 、民話などにも関心を示し、政治的な問題にも関心を示した。その最も代表 的な作品が、間宮氏の『日本民謡集』であり、これによって間宮氏は「山羊 の会」に重要な寄与を果たし、また個性的な作曲家であることを示した。そ こでは、民謡の扱いの点で、ヨーロッパの作曲家たち(コダーイ、バルトー ク、ブラームスなど)の影響が、彼独自の方法とうまく溶け合わされている 。 このインタビューで話題となる「まいまい」は、そのような手法の一例で ある。このインタビューは、「まいまい」が編曲されるにあたってのプロセ スについて貴重な情報を与えてくれるとともに、過去のものとしての民謡で はなく、民謡が民謡として生きていた頃に対する作曲家の強い思い入れを教 えてくれるものとなった。(K. H.) 2 インタビュー Hrvatin(以下、Hと表記):まず「山羊の会」についてお聞きしたいと思い ます。当時の文脈において、このグループはどんな意味を持っていたと思 われますか?今から、振り返ってみて、この山羊の会の活動のことをどの ように感じておられますか? 間宮氏(以下、Mと表記):今から考えると、あまりはっきりはしないけれど、 あの頃、ちょうど同じジェネレーションの作曲家たちの中で、当時の東京 音楽学校でクラスメイトだった人、それからちょっと学年は違うけど友達 になった中で、こいつは才能があると思った人達と、一緒に遊んでいるう ちになんかやろうと。自分達がつくったものを発表したり、パフォーマン 1神楽舞は、富山県五箇山地方の儀礼的な歌であり、その起源は「歌垣」、すなわち地域の男女 の出会う慣習的行事と関連している、とされる。現在では、これは五箇山の上梨村における民 謡保存会によって、最古の民謡「こきりこ」と共に伝承されている。1973 年には無形文化財に 指定されている。 Klara HRVATIN, Nobuhiro ITO: Interview with Michio Mamiya 110 スの場所を作るために、自分たちでお金集めて、場所を借りて、コンサー トをやろうということで始まったんです。 その時のグル-プも三人いたんだけれども、三人の音楽に関する主張、考 え方がかならずしも同じというわけではなかった。ただ、共通していたの は、当時、1950年代に無調の音楽じゃないものの方が好きだったっていう、 それだけかもしれない。これ以外はね、相当ばらばらなんです。 そのあと、僕が日本民謡をいろいろ調べたりし始めるんだけども、それを 本気になって、その時代にやり始めたのは「山羊の会」の中では、ぼくだ けなんだ。他の人達がやっていることに関心がなかったわけじゃないんだ けど。自分としては、そういうものはすごく大事で、面白いと思った、と いうこと。 H:この山羊の会は、戦前のナショナリストたち(早坂文雄、伊福部昭、清瀬 保二など)と、どこが決定的に異なっていたとお考えですか?彼らも「日 本的」な要素を用いました(早坂の「雅楽」、伊福部の《日本狂詩曲》、清 瀬の「日本音階」など)。また、同世代の「三人の会」(團伊玖磨、芥川 也寸志、黛敏郎)との差はどこにあったとお考えですか? M:ヨーロッパの作曲の伝統の消化、咀嚼、理解の仕方が、もっと体にきちん と入っているということでは、前の世代の人たちよりも我々の方が進んで ると思う。その上で日本の伝統をきちんと勉強する必要があると僕は考え ていた。 H:この山羊の会において、『日本民謡集』は大きなインパクトを持っていた と思われます。この『日本民謡集』を作曲されるきっかけはどのようなも のでしたか? M:僕がやりたいって思い始める前に、自分のために曲を作ってくださいって 頼んだ人がいる。それは内田るり子さん。あの人がいなかったら僕はやっ てないかもしれない。 それで彼女と一緒にNHKに勉強しに行ったわけ。毎週通って、そのとき聞い たのがノートになっています。それから日本のじゃなくて外国のもあるん です。それをやり始めたら、すごく僕としては面白くて、それでたくさん ノートを作り始めた。 H:先生は、この『日本民謡集』を作曲されるにあたって、実際にNHKに通っ て、『日本民謡大観』に収められる民謡のオリジナルの録音を聞いた、と 書いておられます。このとき、実際に耳にされた民謡のなかから、この曲 集に収められる民謡をアレンジするために選ばれたわけですが、その選択 の理由は何だったでしょう?東北地方のもの、青森のものが多く選ばれて いるようですが、実際に住んでおられたということと関係があるのでしょ うか? Asian and African Studies XIII, 3 (2009), pp.107–115 111 M:その時、NHKが出版しはじめたのは関東地方、その次が東北、北陸で、東 海地区。順番に出ていって、その順番に本を買って、勉強してたから東北 から始まっているわけ。 当時は「北陸」の巻までしか出てなかった。それで、もちろん聞いて、本 で調べるんだけど、楽譜がものすごい不正確なんです。それで、自分で楽 譜に変えて、それを自作曲に使うという風にしました。 今、『民謡大鑑』の復刻版として出てるのに、CDが付いているんだけども 全部の曲の音が入ってるわけじゃない。惜しいのが抜けてるんですよ。そ れで、当時は、僕が興味があるものを全部聞いて、録音して、それで家で 聞いて楽譜に書き取って、そして好きなのを選んだらこうなった、という わけ。 〔『日本民謡集』を〕最初に出したのは1955年。68年ぐらいまでに21曲出 来て、そこからずっと休んで、22番目からは1988年、1999年に作って、飛 び飛びで、今もまだ作っているんですけど。 〔現在出版されている『日本民謡集』の楽譜には〕24曲あるけど、そのあ とに三つ出来ているんで27曲あります。すぐもうちょっと増えると思う。 30曲ぐらいになったら、また出版しようと思っています。 H:今はどういう歌を作曲されていますか? M:新潟の盆踊りが一つと(「おいな」って言う、翁という意味だけど)、そ れから山形の「茶もみ唄」。もう一つは、島根のとても有名な鷺舞(さぎ まい)という踊りの歌があります。だから、新潟や島根など、日本海側の 三曲。これは島根出身の歌い手さんが頼んできて、じゃ島根の「鷺舞」を 入れましょう、ということになったんです。 私が東北に住んでいたから、東北の歌が多い、というのは偶然とはかなら ずしも言えない。やっぱり好きな歌を選ぶとそういうことになる。それか ら方言が、民謡には沢山でてくるけれど、一番分かるのは東北の言葉だか ら、わりと安心なんです。九州あたりとかだと、分かりにくい、調べにく い、調べてもなかなか分からない。僕もその琉球の言葉は多少勉強したけ れども、やっぱり難しい。アイヌ民謡も、やっぱりアイヌの言葉は分から ない。というわけで、方言の問題が、東北を選ぶの一つの理由にはなる。 H:先生は、踊りの歌がお好きですか? M:どういう理由があるかっていうと、踊りの歌の他には、例えば労働歌、働 きながら歌う田植えの歌とか、それから米つきとか、そういうのももちろ んたくさんあるんですけど、そういういろんな種類の民謡の中で、いちば んちゃんと残ってるのが、お祭の音楽、お祭の芸能なんですね。仕事の時 に歌う歌は、もう仕事そのものがないでしょ。もう、米つきも機械でやっ ちゃうでしょう?田植えまで機械でやっちゃう。農薬使うからって、草取 Klara HRVATIN, Nobuhiro ITO: Interview with Michio Mamiya 112 り歌はなくなるでしょ。雑草生えなくしちゃうわけだから、だからあんま りよくないお米を食べてるわけね、今の人は。だから、そういう歌は残り にくいんですよ。で、いい歌い方がやっぱり残っていないですね。民謡歌 手みたいな人が歌ってたにしても、働いてたときに歌ってた歌い方とまた 違うから。僕がこれを調べ始めたときにNHKがコレクションしたのは、昔 の歌い方、ちゃんと仕事で歌っていた時代の録音もたくさん残ってるか ら、だから、好きなのたくさんありますよ。でも、今調べるとなるとね、 やっぱり神社のお祭りとか、そういうのがいちばんちゃんと残ってる。 たとえば、有名なひえつき歌ってあるでしょ。あれは宮崎か。今よく歌わ れているひえつきぶしは、あれじゃひえつきできないんですよ、あのテン ポとあのリズムじゃ。本当につきながら歌ってたひえつきぶしのテンポは 速いし、とってもリズミカル。 H:この間ヒューグさんという、アメリカの音楽学者の発表で同じことを聞き ました。 それで、私は、たとえば五箇山のこきりことかまいまいなどに興味を持って いて、現地にも行って調べてたんですが、先生がこれらの民謡に関心を持 たれた理由は何ですか? M:特にまいまいなんてのはね、もともと富山で生まれた歌じゃなくて、あれ 京都から来てる。昔、源平の戦いっていうのがあって、そのときに平家が 負けて、それで落人っていうんだけど、流れて行って、山の中に住んだっ ていうのが、あの平村っていう村になったんです。もともと京都に住んで た平家の人たちが住みついて、そこでずうっと、暮らしてきた。その中 で、古い京都から持ってきた、神楽歌をずっと伝えてきたのが、まいまい だと僕は考えているんだけど。そのぐらいね、古いんですよ、詞の形が。 他にもたくさん残っていて、その中でやっぱり「こきりこ」と「まいま い」は、圧倒的に素敵な歌だからね、その2つはどうしても入れようと思 った。 H:分かりました。で、先生も1972年に、実際に富山に行って調査されたんで すね? M:え?内田さんが行ったんじゃない?僕はそんなにあちらこちら行って民謡 調べたっていうことはないんです。ただ僕は住んでた東北のことは、どう いうふうに歌が歌われて、どういうふうに使われたかっていうのはある程 度わかってるから、聞くと分かっちゃうんです。 H:分かりました。次に先生に「まいまい」についてお聞きしたいことがある んですけども、『日本民謡大鑑』に載せられている楽譜と、間宮さんの編 曲を比べると、間宮さんの編曲のメロディーはより原曲に忠実であると思 いますが・・・? Asian and African Studies XIII, 3 (2009), pp.107–115 113 M:うん、これ、だいぶ不正確なんですよ。他にも僕が楽譜採り直したってい う曲は、たくさんあるんですよ。楽譜がないコレクションもあってね。編 集したのは、町田さんという人がずうっとやってきたんだけど、町田さん が自分で集めて、自分で持ってた録音を、LPレコードで作ったのが何枚か あって、それは楽譜ないんですよ。だからその中のものから使ってるの は、僕が全部、レコード聞きながら、楽譜に採ってっていう作業をまずし て、それから編曲した。 H:この原曲の歌詞、1番と4番だけを使っておられますが、それはどうしてで しょう?また、形式、メロディー、リズム、強弱法も編曲に取り入れられ ましたか? M:この歌詞には、四季のことが歌われているんだけれども、だから全部やっ たっていいんですよ。でもコンサートピースとしては、ちょっと縮めたか ったので、ただ春と冬は、とてもきれいな言葉なんだけども、夏と秋はそ れほどおもしろくないから、省いちゃったってだけのことです。 H:それから一番お聞きしたいのがピアノ伴奏についてです。間宮さんは、こ の民謡集のあとがきで、ピアノ伴奏はご自身の作品の中で「とても重要で あり、曲の特性を表している」とおっしゃっていましたが、いかがです か? M:それは、僕が言うよりも聴いた人がどう感じるかってことだから。あなた が聴いてどう思います? H:すごくモダンな感じがしました。で、友達のオペラ歌手の人とも一緒に聞 いたのですが、2人ともモダンな感じがする、と思いました。 M:いや実は、この主題でね、ヴァイオリンとピアノと打楽器とコントラバス っていう編成で、室内楽を作ったことがあって。録音もあるよ。これは ね、ヴァイオリニストがあんまりジャズになってないんだけども。 H:先生、録音を聴かせていただいて、ありがとうございました。おもしろい です。 M:それから「草きり節」っていうのがありますね。これもすごくおもしろい 節なんだけども、これは僕が解説に書きましたけど、変な音程があるでし ょ。ここからここまで、9度飛ぶんだよね。民謡ではそういうこと、ほと んど絶対ない。ないんだけどそういう歌い方してるの。これきっと間違っ たんだよね。ところがそれがちゃんと録音されて残ってて、聞いてみると とってもおもしろい。で、そのまま使っちゃったんだよ。 この旋律はあのう、1969年のチェロのソロ・ソナタの第2楽章にでてくる。 僕が、民謡集を作曲するときに、民謡を編曲した作品が、ヨーロッパの作 曲家にいろいろあってそれが大きく影響した。べートーヴェンによるスコ ットランド、アイルランド民謡の編曲、それから、バルトークも2、30曲 Klara HRVATIN, Nobuhiro ITO: Interview with Michio Mamiya 114 あるのかな。1908年に10曲、29年に20曲。ソロのものは、少なくとも30曲 はある。そのほかに、ゾルタン・コダーイには50いくつある。それは勉強 したことがあって、あれはすごいよやっぱり。とってもいい曲がたくさん あるし、マテリアルとしてもすごく魅力的な歌がたくさんあるし、歌詞も おもしろいし。内田るり子さんが、ステージで何度も歌っていて、僕がピ アノの伴奏弾いたことがある。それからもう1つ、忘れていけないのは、 ファリャの『7つのスペイン民謡』。あれは本当に民謡そのものかどうか わかんないんですけど、そういうのを参考にしている。いいところがたく さんあって、自分で今度は日本の民謡を調べながら、その民謡のキャラク ターを、きちんとピアノ伴奏で裏づけをしてっていうこと考えると、やり 方がすごく自由になっちゃうのね。日本の旋律だけ聞いてるんじゃなく て、ドイツ民謡もスペイン民謡もハンガリー民謡も、そういうものがこう した作品になってきてるのを聞いてると、自分のピアノで作曲するときの ボキャブラリーがすごく自由になる。その積み重ねがこの曲集になってる んです。 特に、その中で僕にとって大事なのはファリャ、コダーイと、ブラーム ス。バルトークは僕、実は窮屈であんまり好きじゃないの。うん、コダー イは自分で弾きたいって思うけども、バルトークはあまり弾きたいって思 うものがないんですね。 H:なんかバルトークにすごく影響を受けたって書いてありますけれども? M:だから、参考にはしましたけど、好き嫌いから言うとコダーイはとても好 きだけど、バルトークのは、それほどでもないんですよ。 H:あるいはアメリカの音楽学者が、間宮さんの作品の中には三味線の三下が りや本調子の和音を使ったものがあると述べていますが、そういうことを 意識されましたか? M:そうですか。三味線の音が、もし影響しているとすれば、この「杓子売 唄」という曲〔『日本民謡集』第3曲〕ね。それから、これは神楽だけど、 たとえば「翁舞の唄・囃子」〔『日本民謡集』第8曲〕はまさに神楽の笛 の旋律です。だから、これを演奏するときには、ほんとに笛がなっている ように聞こえるようにピアノを弾かなくちゃいけない。そういうことをひ っくるめて「私流の民謡の伝承である」って言ってるわけね。自分が聞い て、自分で歌いたいものをこの中に入れていて、ピアノのパートに笛がな ったり、太鼓のリズムがなったりしている。だから、民謡の中に流れてい る血というか、そういうものがいろんな形でこう、ピアノのパートに表れ ているっていうことで、それで自分なりの伝承だっていうことになるんで す。 Asian and African Studies XIII, 3 (2009), pp.107–115 115 参考文献 Hrvatin, Klara (2009) The Japanese Folk Song Kagura Mai, its Preservation,Ttransmission and Metamorphoses: From Ancient Utagaki to Today’s Stage Performance. Master thesis submitted to Osaka University.